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2013年02月18日

たまにはお勉強を・・・

たまにはお勉強を・・・


割とメジャー?なこの写真。北ベトナムのソンタイ捕虜収容所に潜入するグリーンベレー隊員達です。
今日はほんの少し掘り下げてみようと思います。


時はアメリカがベトナム戦争に正規軍の投入を開始してから5年が経過した1970年5月、ペンタゴンでは北ベトナム側に囚われている米兵捕虜の救出という問題が議論されていた。ベトナム及びその隣国であるラオス、カンボジアに拘留されている米兵捕虜の数は、約480人と推定され、さらに約970人が戦闘中に行方不明となっていた。
捕虜になった米兵の半数以上は、北ベトナム上空で撃墜された航空機の乗組員だったが戦争が長引くにつれ政府の方針に対する世論の不信が強まり、5月8日には首都ワシントンDCで75000人規模の反戦デモが催された。ニクソン大統領は反戦派を説得しようと自らこのデモに乗り込んだが、ベトナムからの即時撤退を叫ぶ人々や捕虜となった米兵の妻や家族の反発に遭い、逆に当座の方針として「行動不明者の捜索および捕虜の返還交渉に力を入れる」事を約束される結果となった。
こうして、ペンタゴンはベトナムでの軍事作戦の継続と並行して北ベトナム領内で拘束されている捕虜についての情報収集を本格的にスタートさせた。

そして、コーラー大佐率いる空軍特殊部隊「第1127部隊」はハノイの西50Kmに位置するアプロウと、同じくハノイの西37Kmのソンタイに大規模な捕虜収容所が存在することを突き止めた。
空軍第1127部隊は偵察機が撮影した写真や北ベトナム及び共産圏からの亡命者の証言を基に北ベトナムの内情に関する情報収集と分析を行う軍の情報機関の1つで、最近撮影された航空写真のいくつかに米兵とおぼしき人影を確認した。

この情報に基づき、6月5日午後1時にレアード国防長官と陸・空軍の参謀総長、海軍作戦部長、統合参謀本部の各部長がペンタゴンの地下作戦室に集まり捕虜救出作戦の計画立案開始が決定された。作戦立案に際しては統合参謀本部の特殊作戦担当特別補佐官を務めるドナルド・ブラックバーン陸軍准将が総指揮を取ることとなり、タイの米軍基地の本拠を置く救出作戦の現地司令官にはアーサー・サイモンズ陸軍大佐が任命された。

8月20日、フロリダ州のエグリン空軍基地内にソンタイ収容所の原寸大模型が作られたが、1日2回上空を通過するソ連の偵察衛星から秘匿するため建物は組み立て式になっており、訓練で使用しない時間は完全に分解・収納された。空軍部隊の訓練は8月20日、陸上部隊の訓練は9月9日にそれぞれ開始され、9月28日からは陸空両軍の合同演習が連日3回ずつ実施された。10月6日には実弾を使用した予行演習が行われ内容に問題点が無くブラックバーン准将はキッシンジャー国家安全保障担当補佐官に「救出作戦の成功率は95~97%」と確約した。

だが、その頃からソンタイ収容所周辺を撮影した偵察写真に収容者の散歩道に雑草が生えていたり、敷地内に人影が見られないなどの不審な点が発見され始めた。政府の上層部では「米軍捕虜の存在が確認されるまで実施を延期すべきではないか」などの慎重論が出され、統合参謀本部が予定していた10月20~25日という救出作戦の決行日はしばらく延期されることとなった。しかし、11月2日と6日に空軍の戦略偵察機SR71が撮影した写真を分析したところ、ソンタイ収容所に何らかの人の動きが見られることがわかり、統合参謀本部は11月12日に救出作戦の決行日を未定としたまま参加部隊をタイに向けてC130輸送機で出発させた。

11月18日、ホワイトハウスで催された最高首脳会議に出席した統合参謀本部長のトーマス・ムアラー海軍大将はニクソン大統領ら居並ぶ政府高官を粘り強く説得した。説得が実を結びニクソン大統領はこの日の午後、ソンタイ捕虜収容所に対する救出作戦の実行を正式に命令した。

11月20日午後10時32分、救出部隊を乗せたC130輸送機がタイのタキリ基地を離陸し進路を北東にとった。

救出部隊はラオスとの国境に近いウドン基地で空軍のヘリ(HH-3・1機、HH-53・5機)に乗り換え午後11時18分にソンタイに向け出撃した。赤外線航行システムを搭載した2機のMC130輸送機に先導されたヘリの編隊は、途中1回の空中給油を行い低速低空飛行を約3時間続けた後、11月21日午前2時過ぎ頃にソンタイ上空に到着した。

午前2時17分、救出部隊を乗せたヘリ3機がソンタイ収容所の中庭に着陸し、ディック・メドウズ大尉に率いられたグリーンベレーの兵士56人が暗闇の中で敷地内の収容所に走り込んだが、建物からは何の反応もなかった。メドウズ大尉らは敷地内の建物をくまなく捜索したが、北ベトナム軍の警備兵を10人ほど倒しただけで1人の米兵捕虜も見つけることができなかった。

午前2時50分、落胆した救出部隊は手ぶらでヘリに乗り込み帰路についた。

午前3時35分、ペンタゴン地下作戦室に報告が伝えられると経過を見守っていた米軍首脳部の間から深いため息が漏れた。

ソンタイ収容所にいた米軍捕虜たちは慎重派が危惧していたように、作戦実行の約4ヶ月前の7月14日にソンタイから東へ24Kmの位置にあるドンホイの収容所へとバスで移動させられていたのである。

午前5時28分、ソンタイ捕虜収容所救出作戦に参加したグリーンベレーの救出部隊は無事にタイのウドン基地に帰り着いた。1人の戦死者も出すことなく帰還したとはいえ、戦友の救出という目標達成に失敗したことで隊員は苦々しい思いを胸に刻み込んでいた。だが、この作戦を機に北ベトナムにおける米兵捕虜の待遇はやや改善され、家族からの手紙の受領なども認められた。

ソンタイ収容所救出作戦は、間接的かつ部分的にではあったが収容所の米兵捕虜たちを「助ける」効果をもたらしたのである。後に作戦参加者全員に銀星勲章がニクソン大統領より授与された。



この作戦が成功していたら映画化されてただろうに・・・。


たまにはお勉強を・・・




たまにはお勉強を・・・

たまにはお勉強を・・・
 

たまにはお勉強を・・・

過去に我々も真っ昼間にかかわらず救出作戦を・・・。




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Posted by RABBIT-FOOT at 00:23│Comments(2)歴史
この記事へのコメント
楽しく読ませて頂きました。
ブラックバーン氏もサイモンズ氏もSOGの重要人物ですよね。

SOGの書籍、ソンタイの章まで読むにはまだ時間がかかりそうです。
Posted by Kingbee at 2013年02月18日 08:10
>>Kingbeeさん
ありがとうございます。
私もKingbeeさんの記事、見応えがあって更新されるのが楽しみです。

試験は無事終わりましたか?
良い結果がくる事を影ながら祈ってます!
Posted by RABBIT-FOOT at 2013年02月18日 09:10
 
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