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2014年01月19日

プロジェクト X ~挑戦者たち~

※ 中島みゆき「地上の星」を脳内再生、もしくは実際に再生してご覧下さい。※

今回は『LEATHERMAN』のお話を。


レザーマン・ツール・グループ社は1983年に「ティム・レザーマン」によって創業されました。

そんな「ティム・レザーマン」の苦労と成功の歴史をお送りします。


はじまりはじまりぃ~ 「風の中のす~ばる~ 砂の中の銀河~ みんな何処に行った~…」


プロジェクト エェ~ックス(笑)




1975年、ティムは妻と2人でヨーロッパと中東を巡る旅行に出かけました。
少ない予算で計画した旅行だったので移動は中古レンタカー。かなりガタが来ている車のため修理の連続…。
宿泊はもちろん安いホテル。安いだけに、ぶっ壊れた蛇口の修理などトラブルが頻発。
典型的な技術屋だったティムはこの困難に直面した時、「フルサイズのプライヤー付きでコンパクトなナイフがあればなぁ…」って思いました。


1976年、機械技師だったティムは段ボールや木片を使っていくつかの試作品を作り始めます。
翌年、機械工である義理の兄から金属加工の手ほどきを受け、自宅の地下で初めてスチール製の試作品を完成させました。


月日は流れ…


1980年、ティムは、世界で初めてのマルチツールの試作品「ミスター・クランチ」で、アメリカ国内の特許を申請し取得しました。
そうです、納得のいく珠玉の一品が出来上がったのです。
当時、その特許についての記事をニューヨークタイムズ紙が掲載しました。
ティムは特許権を高い値段で買い取ってくれるメーカーを待ちました。待ちに待ちました…。
しかしティムの予想に反し、いくら待ってもなんの反応もありません。…可哀相なティム。
「こうなったら自分で製造して販売するしかないか…」ティムは立ち上がります。

そんなある日、ティムは「スティーブ・ベルリーナ」と出会います。彼との出会いがティムの止まっていた歯車を大きく動かす事となるのです。
ティムとスティーブはビジネス・パートナーとなり、早速スティーブが一肌脱ぎます。
彼の父親を説得したのです。
こうして、マシーンショップ内にツールを製造するためのスペースを借りることができました。基盤はここで固まります。


1983年、試作品の精度をさらに高め「ポケット・サバイバル・ツール(PST)」が完成しました。

しかしナイフメーカーでは、「これは工具だ!」と…、工具メーカーには「これは小物品だ」と言われ、ちっとも評価されませんでした。…やっぱり可哀相なティム。
徐々に注文も減少していった時、カタログ通信販売会社の2社が「このツールに先見的な可能性かあるよ、ホリデーカタログ用に少量だが注文させてくれないか?」って申し出がありました。神様は見放していなかったのです。

こうしてこの年の7月、「レザーマン・ツール・グループ社」が産声を上げるのです。良かったね、ティム。


1984年、若き日のティムが描いた夢が現実に変わる瞬間が訪れます。
同年1月最初の週、カタログ通販会社のホリデーカタログ発行直後「PST」500本を受注し、その1週間後にはさらに750本の追加注文を受けることとなります。さらにさらに2週間後には1,000本の追加注文が来ました。

1984年当時の年間の販売目標は4,000本と定めていましたが、最終的には30,000本もの数を販売してのけたのです。
これはレザーマンツールの優秀性が一般消費者に認められた証だったのです。

この年は大口注文が続き、会社も急成長しました。


1985年、ティムは常に新機能を開発し続け検討し「PSTにハサミを追加しちゃおっか?」ってアイディアも出ましたが、これはあえなく却下されました。
(アメリカではハサミよりナイフの需要が多かったから。でも、当時のスタッフのむさくるしい髪形を見るとハサミは良いアイディアだったかもしれません。)


1986年
次なる新製品は「大型ツール」か「小型ツール」か…?

2番目は小型ツールを作ることに決定しました。

完成した「ミニツール」は当時の感覚では少々斬新ではありましたが、ミニサイズだったにもかかわらず受け入れられたのです。


1992年、レザーマンの快進撃は止まりません。
なぜなら、『便利さを求める人々は、やはりレザーマン・ツールを愛用しているから』です。

売り上げが伸び、今後5年間の生産に対応できるような大きな工場を建設し、さらに10年以上の将来を見据えて必要な土地も購入しました。
その2年後には工場を2倍にし、3年後さらに3倍に拡張し、そして従業員用駐車場の土地を新たに購入しました。
レザーマン製品が「便利」で皆に受け入れられた結果、当初の計画以上に大規模な施設拡張につながりました。


1993年、この年、初めてレザーマンツールが1年間で100万本売れました。


1994年

大ヒット映画「スピード」でレザーマン・ツールが初めてスクリーンに登場しました。


鮮烈な監督デビューを飾った「ヤン・デ・ボン」監督。

一躍有名になった「キアヌ・リーブス」・「サンドラ・ブロック」。

そして名優「デニス・ホッパー」。

時速50マイル(80km)以下になると爆発するバスから乗客を救出する…。

S.W.A.T.とテロリストの攻防を描いた作品です。


(でも観客の関心は「G-SHOCK」の「DW-5600シリーズ」に…。この映画のヒットによって以降「スピードモデル」の別名でも呼ばれるようになった。)




「異常な状況で結ばれた男女は長続きしないのよ…」

実際に使われたシーンがこちら。
冒頭、エレベーターの扉をこじ開けたのが「PST」。




1995年、ティムは「PSTを購入したユーザーが次に望むのが小型サイズではないとしたら、それはきっと新たな機能を満載した大型ツールを求めていることに違いない」と考え、収納ブレードに初めてロック機能を付けた「スーパーツール」を発売します。

これは、65万本近く売れ、 3年後には110万本も販売されました。


1998年、マルチツールで初めてプライヤーを開くことなく、しかも片手でナイフブレードを取り出せる「ウェーブ」を発表しました。
1985年に没になった「ハサミ」もこのツールに採用されました。


翌2000年に公開された、南アフリカが舞台となりダムの建築技師が反政府ゲリラに誘拐され、誘拐身代金保険会社の交渉人とゲリラの交渉戦が繰り広げられる映画「プルーフ・オブ・ライフ」に「ウェーブ」が登場します。

誘拐身代金保険会社の交渉人に「ラッセル・クロウ」。

誘拐された建築技師の妻に「メグ・ライアン」。

監督はあの「愛と青春の旅だち」でおなじみの「テイラー・ハックフォード」。




交渉が失敗に終わり、力ずくで人質を奪還してしまう…。
最後の奪還シーンに登場します。
(メーカーとしては複雑な心境になる使われ方でしたが…。)



…様々なモデルが登場し…
2009年、軍隊や警察などプロ向けに要求されるスペックを装備した「スーパー」シリーズを復活させ 「スーパーツール300」が投入されました。

太い鋼線などの切断時にワイヤーカッターが、万が一破損しても取り換え可能な154CM鋼材のカッターを開発・採用しました。
さらに手袋をはめていてもナイフ類を容易に取り出せる様になっています。





以上が「レザーマン・ツール」の歴史です。(途中ばっさりカットしましたが…。)



今現在も戦場で兵士が、アウトドアでお父さんが…など様々なシーンに対応し、進化し、活躍し続ける「レザーマン・ツール」。


これはマルチツールの存在を世に知らしめ、浸透させた男「ティム・レザーマン」のお話。




おしまい。


プロジェクト エェ~ックス(笑)



♪ 行く先を照らすのは まだ咲かぬ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは あどけない夢
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない…
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない… ♪




タグ :LEATHERMAN TOOL

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Posted by RABBIT-FOOT at 15:39│Comments(0)歴史
 
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